もうとっくにあきらめているけど

自分の人生は人よりカラフルだと思っている。良い意味においても悪い意味においても。自分の身の上話を切り売りして他人の共感や同情を得ようってことならそこそこいい線いくんじゃないかな。尤も他人がどのような色彩の人生を歩んでいるのかなんて知らないけど。人より何倍も卑屈な性格だし、今まで何度も何人もの人からも注意、というか批判というかその手のものを受けてきた。卑屈な性格に関してね。ア・プリオリとかア・ポステリオリとかそういう話はよくわからないけど、おれの性格は後者に基づくものなんだ。短い人生の中でいろいろなことがあった。まぁほとんどはおれの努力不足なんだけど、いろいろと辛い思いもしてきた。その中で辿り着いたパーソナリティが「卑屈」だったってだけの話なんだ。卑屈は悪い事ですか。おれに言わせればあんたの純粋無垢な明るい性格も悪い事だよ。立派な罪だよ。良いか悪いかなんて誰が決めるんだよ。
もうとっくにあきらめている。期待したって無駄だ。おれの思ったようになんて事は進まない。「どうせ」。あ、最近の中高生の口癖らしいね。「どうせおれなんか」。そんなこと言ってるからなにも良い事が起きないんだよ。卑屈でいれば誰も信じてくれないし、約束だって守ってもらえないよ。わかってるわかってる。じゃあその卑屈な君を作ったのは何だい?大人?友達?それとも君は元からそういう性格なのかな?救いようがないね。笑っちゃうね。一生そこでうじうじしてればいいんじゃないかな。誰も君のことなんて必要としてないからさぁ。君がいると周りが迷惑するんだはっきり言って。邪魔だから出ていってくれよ。
とまぁそんな感じでおれの人生のキャンバスは灰色に染まっていく。小学校の時に水彩画で学校の近くのお寺を描いた。すごく下書きがうまく行って先生にもほめられた。いざ色つけに入って、とんでもない絵になってしまった。見かねた先生はおれの絵を持って水道へ行った。水でがーっと洗い流した。すると色つけ前のきれいな下書きがよみがえった。もう一度チャンスをもらったような気分になった。先生に色つけのコツを教わりながら、丁寧に丁寧に色をつけていった。見事その絵は入選を果たし、今でも家に飾ってある。おれの人生のキャンバスもまだやり直しがきくのかな。