通夜

今日は通夜だった。お昼過ぎに自宅で納棺の儀。ほんとにおくりびとみたいな感じで。家族親戚で白装束を着た故人に足袋をはかせたり、手甲やすねあてなどをつける。おれは足袋を履かせたんだけど、冷たくなった父の足を持ち上げたら、途端に涙が溢れてきた。月曜日に亡くなったばかりの父を見てから涙腺がちょっとおかしなことになっている。
夕方過ぎに会場へ移動して、父の会社の人や親戚を始めとする参列者に挨拶。「がんばれよ」と声をかけて頂く度に涙が。情けない。泣いちゃだめだとわかっているのに涙は出てくる。確かにおれは泣き虫だけどここまで泣くのかと自分でも驚いている。式でもずっと泣いていた。生前の父の人柄や性格などを紹介され、もう……。一番キたのは住職のお経だった。今までに出た葬式やなんかはみんな知らない人のものだったから、割とどうでもよかった。坊さんの唱えるお経はただただ退屈なもので、居眠りばかりしていたような気がする。だけど今日のお経は違った。一言一言が耳にしみ入ってきて、そのたびに震えが来た。その住職の話で「人はテレビやニュースで人の死を知ることはできても、感じることはできません。身近な人の死を、身をもって経験することで本当の死を感じることができるのです。」というものがあった。全くその通りだった。おれはドラマを見ても、映画を見ても、ニュースで有名人の死を伝え聞いても、涙を流したことなんてただの一度もなかった。父の死はそれだけ大きなものだったのだ。実際にどれだけ大きいものなのかわかるのはもっと先のことだろうけど。
明日はいよいよ告別式。しっかりとお骨を拾ってあげないと。