夏に語る「春」の日々のこと

ぐだぐだと(そうでもないような気もするけど…!)過ぎていく大学1年夏休み。「大学1年夏休み」という表現に対してなんだか、真っ暗な道、あるいは家の廊下を全力で駆け抜けるようなニュアンスを持つのは僕だけだろうか。20年後くらいに思い返して「あの頃は若かったなぁ。」とまさに対象とされるその時。毎日の一挙手一投足にちょっぴり罪悪感を覚えながら矢のように通り過ぎていく日々。青春の香りをぷんぷんさせながらめくられていくカレンダー。思うに、青春というのは在りし日を回想しながら浸るその瞬間のことだと思う。「青春」ということばを使えるのは、その「青春」に生きる人じゃないんですよ。思春期というのとはまた違う青春。春は人にほんのり恥ずかしさを持ってくる。恥の時期と言っていいんじゃないかなぁ。
まぁそんなわけで僕も恥と罪悪感に満たされながら毎日を走っているわけです。こんな大事な時間を走らなくてもいいのに―まるでデパートに連れてきてもらって、駐車場からおもちゃ売り場まで我慢できないこどものように―どうして走らずにはいられないのだろう。ゆっくり噛みしめるように一歩一歩進めたらどんなに素晴らしいだろう!でも、走るからこそ見える景色、見えない周りの目、それだから言える甘酸っぱい愛の言葉、恐くて言えない恋人への思い!年を重ねればきっと変わってしまう。そんな青春を僕は生きているわけです。
少々前置きが長くなりました。
閑話休題
今日、中学3年生のクラス授業をしていた時に、鎌倉時代のお話をしていたのですが、生徒8人がみんな一勢に笑ってくれました。恥ずかしい話なのですが、遊び疲れたために授業の準備が全然出来なくて、完璧にアドリブで授業をしていたのです。受験を控え、全力で勉強している受験生になんたる失礼を!それでも、得意な歴史なのでなんとかカタチにする自信はありました。(先輩に「余裕だね…」と嫌味を言われてしまいました。言い返すつもりはないので黙ってましたが、自信はありましたよ!)でもアドリブだなんてキャリア20年のベテラン講師でもないくせに、大ボーンヘッドです。以後ないよう…。それでも、つつがなく授業は進み、実朝暗殺と元寇の件で、去年予備校で教わったブラックジョークを披露したら、生徒が「吹いたw」のです!同業者の方は共感してくれるかもしれませんが、あの手の授業というのは完璧に予習しすぎると息詰まってしまいます。予習・教材研究というのはあくまで「下書き」。授業が「色付け」なのです。絵を描く人もわかるかな。下書きが完璧すぎると、色付けになかなか苦労してしまうのと同じです。僕は絵は描きませんけど、そんな感じです。今日もそんな感じったのです(真っ白なカンバスにいきなり絵の具でしたけどw)。生徒の笑い声を聞いたとき、すごくうれしかった!それまでなんか硬い感じだったのがそれを機に一気にうちとけた感じがした。授業後、ある生徒にポッキーもらったし。ホントは食べたくなかったのだけど、断るわけにもいかず…。
そんなこんなで、生徒の笑顔は宝物です。すごいかわいい。ひとりひとり抱きしめたいくらい。そんな夏の1日でした。