ぼくのなつやすみ

8月のいっぴから本格的に夏休みになったわけですが、あんまり休んでない…。というのも塾講師をしているからです。自分の夏期講習の思い出は、といえば小学校の5年生から高校1・2をとばして3年生まで塾に通いづめだったので、それなりにあるわけです。この春、晴れて浪人を終えて、夏期講習なんて言葉はもう聞かないだろう、と思っていました。それが今は毎日夏期講習夏期講習。集団と個別、両方持っていて、まぁそれなりにこき使われています。いや、これは名誉なことですけど。
塾という組織の中で思うことが2つほど。ちょっと偉そうかな、と思うけど。
1つめ。これは今までとは逆の立場で関わることになった塾の姿。つまり、「教わる」から「教える」側になって思うこと。教えるのって難しい。準備とか。一応お上からカリキュラムというものが配られていて、それに沿って教えればいいのだけど、そのカリキュラムが無茶振り乙。しかも僕はニューライスティーチャー。その点考慮してくれないあたり社会だなぁ。でもまぁ習うより慣れろ。回を重ねるごとにサマにはなってきている。たぶん。授業っていうのは芸術作品だと思う。芸術作品を作ったことはあまりないのだけれど。中学校とかで絵を描いたり、なにか作ったり、それが完成したときの、あの「まとまったー」っていう感覚に似ている。まとめる感覚は何事においても好きなので終業のチャイムを聞くのは快感。ただ、今日ある生徒にこう言われた。「先生話づらい。なんかよそよそしい。」
2つめ。こちらは塾というひとつの組織のはなし。僕はあまりキレイ事というのは言わない/考えないようにしている。全てとは言わないけど(全てだと思ってるけどそれはいちおう極端すぎるとは思っているのでやや自重)世の中キレイ事ばかりではないでしょう。塾も、初めは円満で円滑で和やかな雰囲気の職場だった。しかし、塾で働くようになって3か月が経ち、だんだん職場での人間関係・人物相関図が見えてくるに連れて、ああ、やっぱりキレイ事じゃ済まないんだなぁ、と思うようになった。あっちでこっちで他人の悪口が聞こえてくる。社員の愚痴をこぼす人、いい加減な講師をたしなめる社員。ひょっとしたら僕もそうやって蔭口を言われているのかも。いや、きっと。それがどうっていうんじゃなくて、やっぱり理想主義はどこの世界でもうまく回らないんだ。だから僕はどこへ行ったってあまり大それた理想は抱かない。ようにしている。とはいえ、恋人に結婚しようねって言う程度には夢見がち。でもこれだって現実を自分なりに見つめた上でのほにゃららら…。ほら、
いいことも悪いことも書いたけど、おおむね良い職場です!毎日忙しくて、疲れて、他になにもできないくらい大変だけど、充実しています。そういうわけでぼくのなつやすみはほとんど塾です。9月には6ケタという見たこともないお金が僕の手に!