ここ最近

一ヶ月あいた。この一ヶ月でなにかが変わったということはないが、新学期も始まり、いつのまにか大学3年になっていた。週3回しか大学へは行っていないのだが、それでも13コマほど出席しているので、それなりに体は悲鳴をあげる。大学が遠いので用もなく出かけるということはまずしない。その点で大学が近い人とは違った生活を送っているということは自覚している。サークルになじまなかったのも、ロクな人間関係も作らなかったことも全て遠いということにしている。本当はそれを盾にしているだけなのだが。
では、毎日なにをしているのかといえば、なにもしていない。いや、本当になにもせず修行僧のように座禅を組んでいるのではなく、なにか血や肉や骨になることをなにもしていないのだ。塵も積もれば山となるというが、塵にもなていないのが今の毎日だと思う。そんなだから将来のことも定まらない。
地元という土地は人間を過去に縛り付けるものだ。帰省というものをほとんどせず、いつまでも東京に居続け、たまに帰ったかと思えば地元の愚痴に終始する友人を何人か見た。ぼくからすればそんな感情はくだらないと思う一方で、非常に羨ましいものだ。自分にはないものをあいつは持っている。自分はいつまでもこの土地から抜け出せずに終わっていくのかと。
父親がいなくなってしまったことは少なからずこうしてぼくを地元に縛り続ける要因になっていると思う。ぼくがいなくなれば母は文字通りのひとりぼっちだ。まだ若いぼくにはいくらでも未来はあるだろう。母の生きがいがぼくだけになっていることは気持ち悪いとは言え、自覚しているつもりだ。でもやはり重くつらい。
どういうわけか、モテ期のようなものに遭遇してしまったらしく(中には思いすごしも含まれているかもしれない)少なくない複数の女性とそういう雰囲気になってしまった。誰かと「正式な手続きを経て真剣にお付き合い」(たとえば告白とか)をしているわけではないのだが。こういうのは男からってことなんだろうか。男のぼくが決定的なことを言わなければなにも起こらないのである。あえて言わないのではなく、言うことができないのだ。自分は恋愛不感症になったのかと思った。思えば大学1年の最初に好きになった人に対しては何の疑いもなかった。自分の気持ちは自分に留まらず、おそらく相手にも伝わるほどに明確だった。そんな気持ちはもう抱くことがないのだろうかと少し憂鬱になっている。キュンとしないってことだ。そんな折に、知りたいけど知りたくないような事実を知ってしまった少し、いやかなり動揺した。でも自分にはどうしようもないことなのだからしかたない。そのことを考えながら頭の中にはある人の顔が浮かび、もしかしたら……と期待させる。
もう一度前を向いて歩こうと思えるかもしれない。後ろばかり振り返っていないで前を向かないといけないのかもしれない。そんな風に思った。