平成の迷横綱「朝青龍」

朝青龍が電撃引退したのでイチ相撲ファンとしていろいろ思うところなどを書いてみようと思います。
まずこの記事を書くにあたって自分の立場を明示しておきます。
「ぼくは朝青龍の大ファンです。一番好きな力士は朝青龍です。」
まぁそうでもなきゃこんな記事は書かない。彼がこの度、電撃引退した経緯に関しては今更言うまでもないことだと思います。報道で見たでしょ?
一般人に暴行を働いたとなれば、普通はすぐ解雇になります。しかし、ここで問題なのは彼が即解雇にならなかったワケです。ぼくはジャーナリストでもなんでもないし、その手のエキスパートでもないので完全な憶測になってしまいますが、たぶん朝青龍の「存在感と価値」がその要因です。
簡単な話、朝青龍がいま辞めてしまうと、相撲人気の低下とそれに伴う相撲協会の収入減は火を見るより明らかです。内館元横綱審議委員をはじめ、「アンチ朝青龍派」はこれまでも彼に対する厳罰を主張してきました。しかしその度に既得権益を確保しようとする「朝青龍擁護派」は大甘裁定を繰り返してきました。事実、サッカー事件のあと久しぶりに朝青龍本場所の土俵に復帰した時の熱気はブラウン管を通しても嫌というほど伝わってきました。ですが、先ほども述べた通り、今回の事件はサッカーとは質が違うものだったのです…。
彼の罪ばかり言及するのもファンとして非常にいたたまれないので、ここで横綱朝青龍の功の部分にもスポットをあててみましょう*1。まず彼は初土俵から史上最速*2での横綱昇進を果たします。この記録は今も破られていませんし、今後も破られることはないでしょう。記録という面では、史上初の年間全場所制覇、7連覇、当時史上最多の年間84勝*3。しかし、もっとも注目されるべきは「一人横綱としての期間」なのです。横綱というのは言うまでもないことですが、相撲界の顔です。協会としても横綱不在というのはどうしても避けなければならないことです。イチゴののっかってないショートケーキが売れますか?どうしたって休んだりやめたりすることはできないわけです。そんなプレッシャーや責任感は想像もつきません。人は逃げ道があるから自由にのびのびと生きられるのではないでしょうか。そんな重圧を四方八方から受けながら彼は4年間土俵に立ち続けたのです。ここのところもっと評価されるべきだよなぁ。まぁ功労金ということで一定の評価は受けますが。その重圧が彼の横綱生命を削っていったと言っても言い過ぎではないでしょう。白鵬が昨年あんなにも素晴らしい成績を収められたのは、朝青龍が一人で批判を背負っていたからではないかなぁ。だから自由にのびのびやれたのでは。今度は白鵬がひとり横綱。2010年が彼の真価を問われる1年になることは言うまでもありません*4
と、長々述べた上で。「殴っちゃだめ…。」
先日、引退発表直後の朝青龍を追跡取材した番組を見ました。そこで彼はこんなセリフを口にしました。
「日本は民主主義の国だと言うが、実際は社会主義の国なんじゃないかと思う。」
遠くモンゴルから夢を追いかけて海を渡ってきた青年の本音でしょう。民主主義というか自由主義、つまり日本はなんでも自由にできると錯覚したのでしょう。相撲の横綱ってのは日本の中でもトップクラスの自由のなさ…!とは言っても日本という国は良かれ悪しかれ、周りに合わせるということが比較的強く要求される国だと思います。「周りと同じ」がひとつの価値観となっている。教師は個性を伸ばせとか言うけれど、果たしてそれはどうか。周りと同じことを人より早く正確にできる人が評価されているのではないか。小学校の頃なんて他のお友達と同じじゃないと気持ち悪かったものね。
でも日本の伝統、相撲界の顔である横綱には「品格」が求められて然りです。品行方正で他の力士のお手本となる横綱でなくてはなりません。
上の11行ほどはあくまでぼく個人の見解です。批判もあるでしょうが、思ったことを書いてみました。
最後に一言。「ドルジ、今までありがとう!そして、おつかれさま。今後の活躍を期待してます。」

*1:具体的な数字に関しては調べるのがめんd(ry…なのでお許しを。興味のある人はウィキペディアを見ましょう。

*2:幕下付け出しを除く。「幕下付け出し」というのは言わば飛び級のことで、学生相撲で残した実績の程度によって決められます。その先駆けが元横綱輪島で、彼が初土俵から横綱昇進の最速記録を持っています。ちなみに21場所3年半。ちなみに朝青龍は25場所、曙は30場所、白鵬は38場所です。

*3:これは昨年白鵬が破りました。86勝4敗。しかし白鵬の2009年の優勝回数は3回。優勝決定戦で3度も破れています。

*4:正直去年のようには活躍できないと思いますよ…。