あけましておめでとうございます

年が明けたと実感するのは、書類やノートに新しい年を書いたときです。バイト先の授業振り替えの連絡の際に「2010年」と書いて年明けを感じました。
10年前、やべーついに2000年来ちゃったよ、とびっくりしていた。
今年、ついに2010年になった。あっという間だった。でも長かった。
それはちょうど、1日は死ぬほど長く感じるのに1週間は死ぬほど早く感じるというあれのように。
この調子だとまたすぐに2020年がやってきて、2030年がやってくる。2040年に僕は50歳になっているわけだ。2040年なんて正直SFの世界だ。だけど30年後に確実に現実としてやってくる。その時の自分になにか残したい、届けたい。
別にいまなにかに苦しめられているとか、自分が周りとは違う特別な人間だとも思わない。それでも僕は10年前とは変わった。はたちを迎え、自己形成期をほぼ終えて、たぶん自我は確立しかけている。
おれの自我…
3人兄弟の末っ子として育ってきたというところに大きなポイントがある。
家では常にちやほやされてきた。兄は9つ上で、姉は5つ上。ケンカとかできる年の差ではなかった。甘えたり、優しくしてもらうかわりにおれはかわいい末っ子を演じなくてはいけなかった。(実際に演じられていたかというと非常に微妙だけど…)それに対し、学校などの外の世界ではそんなキャラを演じる必要はない。内と外での演じるキャラクターの乖離こそが、おれの自我をつくったんじゃないかと思っている。そのせいか知らないけど、親の意向に沿うことはおれの使命であると思っているし、自分で何か決めるときにはいつも親の顔色をうかがっている。もう成人しているのにね。親に反対してでもなにかしようなんて牙は抜かれてしまっているんだ。親の期待に答えることが最大の価値だと、おれ自身はそんな価値観を持っている自分が大嫌いでたまに客観的あるいは周りの人間と比較して考えてみるときに鳥肌が立つのだが、思っている。あるいは意識の底に規定されている。内と外とでの演じるキャラの違いはなんとも思わない。刷り込みみたいなものだ。人格や精神状態が歪んでいる人間なんていくらでもいる。もっと言えば、なにがまっすぐでまっとうな人間かなんていう基準はないのだから、曲がった人間なんていない。そう言いきることが自分への最大の弁護でもあるのだ。
こんなことをうだうだと考えている20歳の自分を、20年後、30年後の自分に伝えたい。
よいお年を。