疲れてしまうでしょう?刺激はいつもはいらないの。

自分がどうあるべきか、考えている人は多い。
中学の頃好きだった人と会った。当時はほとんど話すことはなかったのだけど、いつも目で追いかけるほど好きで好きでたまらない人だった。中学卒業と同時に会わなくなり、次第に僕の中から消えていった。そんな折、某SNS*1で彼女と巡り会った。そして当時の思い出話などしながら、僕はあの頃の想いを伝えた。彼女は驚いたようだが、少し聞くと「気づいてた。実は私も好きだった。」と言った。どちらからともなく僕らは会うことになり、地元でついに再会した。あまり話したこともないから、彼女がどんな人かよく知らなかったけど、実際話してみると、彼女はいわゆる「天然系」だった。お互いの近況や6年に及ぶ空白の時間について触れながら、「不況だねぇ」とか「就職大変だねぇ」とか、そんな世間話をした。彼女は化粧をするようになっていたが、当時の面影はあり、なんだか中学生に戻ったような気分でいた。「僕らはもうあの頃とは変わってしまったんだね、こうしてると、『もしあの頃に戻れたら…』なんて考えてしまうよ。野暮だね」彼女は僕にこう言った。「今が楽しければいいんだよ。」屈託のない笑顔でそう言われ、僕はどきっとした。なんだか少しズレているような言葉だったが、彼女の意図した文脈で僕はその言葉を反芻した。1時間後、一日後、一週間後、一年後、10年後、未来…。先のことを考えてばかりいるような澱んだ世界に放り込まれた一陣の風だった。そんな大袈裟なものではない、彼女は今が楽しければいいと軽く言った。その笑顔は僕が好きだったあの頃のままだった。今。昔でもなく、先でもなく、今。今置かれてる状況を楽しもうよ、という彼女からのメッセージだったのか。楽しもう、enjoy、享受、そんな思索を巡らせながら、僕らはどちらからともなく「また会おうね」とあてもない栞を飛ばして別れた。
自分がどうあるべきか。それは「今楽しいこと」をどれだけ追い求めているか、なんじゃないかなぁ。夏休みの宿題を最後の日に必死にやる小学生、締切前日に必死にキーボードをたたく大学生。必死にenjoyして、必死に埋め合わせをして、必死に笑っていたら、それが幸せ。

*1:mixiと呼ぶ人もいる。大多数。