@SOPHIA UNIV.

今日は上智大学へ行ってきました。目的はキリスト教人間学という授業を聴講するという名目でのソフィア見学。実際,授業もよかった。デカルトと方法的懐疑のあたり。「我思う,故に我在り。」(cogito ergo sum.)とかですね。教官がなぜか関西弁。となりに座っている人は京都弁。あな,をかし。

方法的懐疑の意図:概ね正しいかもしれないが,ひょっとしたら間違っているかもしれないもの*1をはじき,それでも残るものに関しては,騙されていようが,何をしていようが,そういったことが起こっていることは認めざるをえない。たとえ,とんちんかんな考え*2でもそういった考えが生じたこと自体は消せない。そういった考え,ないし思い違いを現実に引き起こした主体である「私」の存在*3自体は疑いえない。・・・

 といったあたりがハイライトでしたか。哲学ですね。哲学というのは,ぱっと聞いただけでは一体なんのことを言っているのか…。しかし,何度も何度も文字通り噛みしめるように反芻してみると,ぱっとひらめく。この瞬間に背中のあたりがゾクゾクっと。いいですよね。非常に美しくスマートな学問領域だと思います。崇高な感じ。授業後は構内をぶらり。ここの学生は背が高い。参りました。いやぁ,すごくコンプレックスを感じましたよ。平均身長177くらいはあったんじゃないか。それにみんなハンサム><死にたい。それでクラッチバッグなんか買って,帰稲*4。5限を受けて戸山図書館なんかに。そんな日でした。
 単調な日々に刺激を与えてやる。すると何かつっかえていたものが勢いよく流れだす。そんな刺激を与えてくれたような日でした。こぎと、えるご、すむ!! 

*1:錯覚,夢,悪霊…

*2:数理的なものなら,現実に存在しなくてもよい。→だまされている事態の成立

*3:実存的な要素を介在させているのでは?

*4:早稲田に帰るの意。キトウって読むけど,ここはあえてスルーです。