合理化・昇華

その程度だったってあきらめ方は我ながら究極の合理化であると思う。結局はその程度だったのである。これからは物事を過大評価しない自分をつくっていきたい。現実を冷静に見つめる目を養いたい。自分の拡大あるいは歪曲した解釈を加えない人間になりたい、と思った。そのためには今回のような経験も大きな糧になった。と言いたい。ここ何日かでそれまでとは違うものの見方が身に付いた。気がする。成長したなんて言ったら大袈裟かもしれないけど。でもこういう積み重ねで大人になっていくんだろうなぁ、とは思った。それに嫌悪感を覚える自分もいた。まだ子供でいたいんだろうか。自分の周りにはいろんなフィルターがあって―そしてこれからも―まだまだすぐに大人にはなれそうにない。同い年で大人になってる人はたくさんいるのになぁ。でも焦る必要はない。My paceでいいと思う。
さて8月にも別れを告げ、9月も2日である。今日からまた早起きをする次第なのである。勝負の夏は終わった。確信の秋へ。
戦いはいよいよ中盤戦を迎えようとしているのである。へこんでいるヒマなんてないのである。さぁ、勉強だ。