別れ

おれはなにをしてあげられたのかな。
今日、父が亡くなった。去年の8月頃にガン告知を受けてから1年強、辛い闘病生活を終え、安らかな永遠の眠りに就いた。ちょうど1年前の10月にひとりで京都に旅行に行って、ガン除けのお守りを買ってきたのがついこの間のことのよう。
いつも通り大学で講義を受けていた午後5時過ぎ、母から連絡が入り父の容態が急変したことを知った。急いで病院へ駆けつけたが遅かった。受付で姉に会い、ついさっき、と。それを聞いた時は、多少動揺したが覚悟は決めていたつもりなので特に返事はしなかった。おれは親が死んでもどうってことないんだな、なんて思いながら、涙の一粒も出なかったらどうしようと変な心配をしていた。病室に入り、父の顔を見た瞬間、そんな心配は全部ウソになった。穏やかに眠るように逝ったのよ、と目を真っ赤に腫らした母が言った。そこには心なしか、わずかな微笑みを浮かべた父の顔があった。まるで今すぐにでも起きてきそうな顔だった。
兄や姉は決して涙を見せず、毅然とした態度で振る舞っていた。でもおれにはそれができなかった。1時間くらい立てなかっただろうか。体は大きくなっても心はいつまでも甘えん坊の末っ子のままだった。この1年間、父の病気のことで泣いたことなんて一度もなかった。遠くない将来やってくる死はそれほどの実感をもたらさなかった。しかし、1年という時間は長かったのだろう。父の弱った背中を見る度に心のどこかに覚えていた違和感や哀愁が一瞬に凝縮され襲いかかってきたようだった。
おれは父親を好きだとか、尊敬してるだとかと他人に言ったことはない。あまり好きではなかった。平日は毎晩遅く帰ってくるし、朝早くに出かけてしまう。休日は朝からずっと寝通しだし、ロクに遊びにも連れて行ってくれなかった。小さい頃からそんな父を見て憎みさえしていた。でも今思うと、がんばっていたんだよな。うちはお金の面で一切苦労したことはなかった。父は高卒だったけど、一千万は稼いでいたし、その点ではなにひとつ文句はなかった。塾にも行かせてもらったし、私立の大学にも通わせてもらっている。5年ほど前に家族が崩壊しそうになったことがあった。その時おれはなにも考えず、家族が離れることを拒んだ。必死でつなぎとめようとした。そうすることは必然の選択だったのだ。無意識の中では父が大好きだったのだろう。
おれはなにをしてあげられたのかな。
浪人を経て、今の大学に受かった時、父は本当にうれしそうだった。郵便屋さんからの入学手続き書類を受けとったのは父で、近所に響き渡るような大声で喜びの声を上げていて恥ずかしい思いをしたのを覚えている。つい1年半前の話だ。それがおれの唯一の親孝行だろう。
一週間ほど前から、父はもう疲れたと母に繰り返していたらしい。どんな会話があったのかは詳しく知らないし、聞くこともできない。
これから苦労も増えるだろうけど、がんばらないと。おれがしゃっきりしないと父も安心して休めない。あさって通夜でしあさって告別式。