100年の恋も冷める瞬間

僕の小論文の弱点は論点を無意識にすり替えてしまうことと,そこポイントじゃなくね?ってところに無駄に突っ込んでしまうこと,だということを自覚したうえで書く。
よく,人によって態度を変える人が嫌い。という女性がいる。どうだろうか。逆に問う。あなたは全ての人間に同じ態度で接することができるのか。*1そもそも人間というのは極めて自分以外の存在に依存する動物だと思う。例えば,自分という人間を説明せよ。と言われればどうするかと考えてみる。多くの人はこう答えるのでは。「私は〜と〜との間に生まれた人間。〜の恋人。〜学校に通っている。〜で働いている。と言ったように。身長が何センチで体重が何キロだって言ったってそんなの同じ人はごまんとある。つまり自分以外の存在を蔑ろにして,自分の存在を説明できる人間なんていないのだ。何が言いたいのかと言うと,他者との関係が重要だということ。他者との関係によって初めて自分が自分であることの証明がなされるのだ。
他者との関係にはとても気を使う。人間,特に日本人,はとかく保守的であるから関係を大事に大事にする。相手との絶妙な距離感を壊さないように全力を尽くす。気を使いすぎて無意識状態に昇華していることも多い。ぱっと思い当たるものでは一人称。僕はだいたい3つをリアルの生活で使い分けている。友人,年の近い先輩,後輩の時は「俺」,親,家族,親戚の時は「僕」,先生,年の離れた先輩,尊敬する人,目上の人には「自分」を使う。相手との距離を無意識で考えて使い分ける。でも,このことは件の人によって態度を変える人が嫌いっていうのとは違うかな。でも本能的に男は巣の外で縄張り争いをしなければ,という本能が備わっている。力関係に差がある場合,攻撃一辺倒というわけにもいかない。時には遜って譲歩することも子孫繁栄のためには絶対に必要なことだ。かと言って自分より力の弱い者にまで遜っていたら,逆にやられてしまう。そうすると必然的に,相手によって態度を変える必要が出てくる。社会の厳しさを全くといっていいほど知らない若者が社会にたてつくことがよくある。それが魅力だと形容されることもよくある。しかし,社会にでて,守るものができ,サラリーマン社会なんかで揉まれると大概,丸くなるものだ。それが男というやつだ。人類が誕生してからずいぶんと長い間,女性は巣を守るという役割を演じてきた。確かに,最近は女性の社会進出も進み,状況は変わりつつあるけど,何万年もの時間をかけて刷り込まれてきた本能がちょっとやそっとのことで変わるとは思えない。だから女性には理解しづらいことだと思う。俺だってまだ19だし,そんなことは全然わからない。ムカつけば,人をぶん殴ってやろうかと思うこともある。でも守るものができたら,嫌な相手でも,本意に反していても,歯を食いしばって我慢しなきゃいけない日が来るんだろうな,と思う。そしてそれが染みついて,嫌な相手に頭を下げることが当たり前になることもあるんだろうなぁ。でもそうやって先祖も生きてきたんだから,こればっかりはしょうがない。せめて若いうちはそんな風には振る舞いたくないなぁ。
だからさ,もし彼氏がファミレスのウェイターに横柄な態度をとっていても,100年の恋が冷めたなんて言わないであげて。そういう本能を持った猛獣を飼いならすことも,女性の立派な仕事だと思うよ。
長々と読んでもらって恐縮です。

*1:ここで論点がすり替わってるかなぁ。いや,そうやって言う人の気持ちはよくわかる。ここではあえて話の幅を広げようと思う。